ウルトラファクトリーで作ったタカアシガニの骨組みを一度組み立ててみたかったけど、京都で大きなパーツを買ってしまうとそれを沖縄まで送らなければならず、莫大な(僕くらいのアーティストにとって)予算がかかってしまう…

なので頑丈な鉄で出来た関節のパーツのみ作って、それを沖縄で購入する長い鉄パイプで継ぎ足して伸ばす作戦。
ということは実寸大のタカアシガニは沖縄で初めて姿を表すことになる。鉄鋼作業に慣れていない自分にとってドキドキ通り越してお腹痛くなる。

12日の夕方
沖縄に到着、唯一のフリータイムで最後の晩餐になる泡盛と海ブドウをホテルで嗜む

夜は吉本の担当の方々、西野さん、プラカフェというコミュニティを運営されてる森さんと会食

酔っぱらってあまり覚えていないが、西野さんの「煙突町のプペル」は西野さん一人で作ったのではなく予算も含めてみんなで作ったという話を聞き、淀川テクニックの「宇野のチヌ」は近隣住民の人達が持ち寄ってくれたゴミを使って出来ていて、宇野チヌが淀テクの手を離れてみんなの作品になっている、という話をした。
 
 
少し話はずれるがこの「宇野のチヌ」という作品は2010年に制作して今も宇野港に展示しているのだが、メディアに写真が出る際にお金は一切もらっていない。

 

昔甲子園をテレビでボーッと見ていて玉野市の高校の地元紹介で「宇野のチヌ」が使われていたり、来年のJR西日本のカレンダーに仲間由紀恵さんと一緒に表紙で使われたりしているが1円ももらえない、というかそういうシステムになっている。
屋外作品というのがその主な理由で、いかなる写真でも風景の一部として扱われてしまう。作品には著作権はあるが、その作品がたまたま写っている風景写真は著作権を主張出来ないのだ。まぁ結果的に沢山の人の目に触れることになるので良いことも沢山起こるのだが、その波に乗り切れていない自分に少々もどかしさを感じている。
フリー素材になってしまった宇野のチヌに対し意図的にプペルをフリー素材にして絵本の売り上げに繋げている西野さんは上手くやってるなーという印象を受けた。
 
13日は朝から下見、やんばる滞在日記 第1回 にも書いたが粘土をこねながら展示予定の美ら海水族館や旧塩屋小学校、西野さん呼び掛けで集まるボランティアの方が共同生活するゲストハウスなどを見学する。
京都から送っていたタカアシガニの鉄鋼の部品と、鳥取から送っていた工具類のチェック。
旧塩屋小学校の海でナマコを触って遊ぶ
そういえばプペルは魚に乗っているだけでなく、光らせたいというアイデアでも西野さんと一致していた。
2003年に淀川テクニックの活動を初めてからずっとゴミで作品を作っているが、同時に2010年から京都造形芸術大学で非常勤講師としてマンデイプロジェクトという授業を8年間担当した。マンデープロジェクトではワークショップの他に京造ねぶたという大きな造形物をクラスで一つ作る。
プペルはその作り方を応用して、ねぶたとゴミのハイブリッドな作品にしてみたいという狙いがあった。
西野さん的にも絵本の中のシーンでプペルの心臓が光っているシーンがあるので、光らせるアイデアには大賛成だった。
ただ残念なのは西野さんのスケジュールがいっぱいで12月8日のプレビューの時にしか次に沖縄入り出来ないことだった。
出来るだけ進捗状況を報告することを約束して、西野さんはその日の夜行われるトークショーへ、僕はお願いしていた淀テク用に制作期間中使わせていただく軽トラを取りにいくのだが、その軽トラが僕の人生で見た軽トラの中で一番ボロい軽トラで(褒め言葉)エンジンは中々かからないし走行中にマフラーが落ちたりするのだが、その感じが妙に自分にフィットして滞在中の淀テクの大事な足になる。
杉本さんと別れて名護の宿舎まで1時間半かけてまたもどってくる。
明日からいよいよ制作の始まり。
もう一度最後の晩餐で泡盛

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