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蒟蒻問答という名のブログはじめます。吉田 朗です。

「蒟蒻問答」というのは落語の一つで、乱暴に要約すると、不真面目な蒟蒻屋の坊主と、道場破りみたいな風来の坊主が問答して、噛み合わないまま蒟蒻屋がトンチンカンな答えを言って、それがズレているんだけどスカーンと抜ける回答みたいになって、風来坊主を打ち負かすといった内容でした。

今、自分は作品の方向性を模索しているなと思っていて、過去作を見直す中で今を見直せるかと思い、自問自答的なタイトルを考えていました。ただ「自問自答」はさすがに重たいので、軽い感じの似た言葉はないかと探していたら出てきたフレーズです。落語の蒟蒻問答の蒟蒻屋さんが八王子にあったという説があり、かれこれ20年近く住み着いている土地ということもあり、なんかコレに決定しました。

過去の作品を振り返りながら、その頃のことを自分的時代背景と世の中的時代背景などを書いていこうかと考えています。進めながら内容は変わっていくかも。

作品No.1  LIFE
1998年
木、石油、電球、鉛、ポリエステル樹脂
90×360×45㎝

ビジュアル的にはヨーゼフボイスの影響をもろに受けている気がする。
その時考えていたのは、エネルギーの変遷的なもので、木を燃やしていたのが、石油、電気と発展しつつも、人間の理性っていうのかな、技術とかを司る部分は進歩せずに鉛で出来たシェルターが溶けちゃうような、そんな未来しか作れないなーということを、少し洒落た感じで示してみようと思った次第。震災を経て改めてみると以前と違った見え方もします。

大学一年生の時に制作したのが懐かしい。一年生が自由に使えるアトリエがあったので、木彫の授業をサボってそこで制作してたら、助手さんに苦笑いされながら怒られたり、クラブ棟って部室のある建物で徹夜で作ったりした思い出がある。

芸大目指して浪人が長くて、併願校で多摩美を受けたんだけど、きちんと大学とか見に行っていなかった。試験ではじめて八王子の駅におりたの思い出す。それが21の時だから、それからもう20年くらい居ついている。今は開発されて40階建ての高層マンションとかすごいんだけど、昔は八百屋と不二家のケーキ屋、ドトールくらいしかなくて、駅出て右手は草の生えた空き地がバーンと。あー東京だけど田舎だ。ここで暮らすのは寂しそうだな〜とか思った。

昔の南口に降りて、駅出て左にあったドトール入って、コーヒー飲んで、これが試験の時のゲン担ぎというか習慣になっていた。大学が自宅から遠いことが多かったので試験会場に早めにつかないと心配なんだけど、会場で不安な人と一緒の時間を過ごすのも嫌で、まあ最寄駅には早めに着く、そしてギリギリまで時間を潰して、開場ピッタリに試験会場に行く、そんなことをしていた。

世代的には第二次ベビーブームの人口MAX世代の数年後にあたるので、浪人が絡む美大受験は自分の一歳上の代が倍率最高だった。世代的には入試で厳しく、バブル崩壊で(僕はあまり関係なかったけど)大卒では就職氷河期という厳しい世代です。

当時用意したテキストを改めて見ると情操教育シリーズにつながる部分もあるな〜なんて思ったりもします。

以下が当時用意したテキスト
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人類は、地球が長年堆積させてきた化石燃料を爆発的に消費し近代文明を築き上げてきました。

しかし、私たちが行き着く先はいったいどこなのでしょう。私たちは資源を使い切り、そしてこの地球さえも滅ぼしてしまうのではないでしょうか。

この作品は下から木、油、電球、そして鉛でできた人の型が並べてあります。人類が用いてきた燃料エネルギーの進化の変遷と、私たちがたどり着いた現代を、アイロニックに提示したかったというのが制作の動機です。

紫外線や核におびえ、それらを遮断する「鉛」で個人用シェルターを造らなければならない時代。

しかもそのシェルターも溶けてしまっている。人類の愚かさを示す標本、というイメージで制作しました。

黒い板は黒板塗料を塗り、文字はすべてチョークで書いてあります。標本そして黒板は教育の場をイメージさせます。このメッセージは、次の世代を生きる子供たちにこそ、伝えなければと思い、組み合わせました。

用いる素材一つ一つに意味を込め、自分の考えていること伝えることを、材料の選定から考えてみました。
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