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昨日、東横線の渋谷駅にサヨナラをしに行ってきた。
「東横線・渋谷駅、地下に 85年の歴史に幕(産経新聞)」

空いていたのは用事と用事の間、ランチタイムのみ。
お昼ごはんを抜いて東横線に飛び乗った。

私にとって東急・渋谷駅の地下化には、たかが私鉄のひとつの駅の移転では済まされない
深い思いがある。その辺は後にするとして・・・

地上にある渋谷駅へと入っていく東横線の最後の勇姿を見届けるため、運転士さんの後ろに
陣取ろうと意気込んで1両目に乗車してみた!

えっ。。。本物の鉄道ファンである鉄ちゃんや鉄子さんが占領している(ーー;)
背中からものすごい熱気を感じる!(笑)
所詮私はにわか鉄子。。。諦めて1両目中程へ。。。

車窓から見える景色があまりにもいつもと変わらなくて逆にさみしくなってくる。
渋谷駅のホームにさしかかる頃には涙さえこみあげてきた。(笑わないください〜っ!)

私はこの沿線の住宅地で生まれ育ったから、海外で暮らしていた数年を除く約30年くらいは
この景色を見続けてきたことになる。
住宅地といっても東京都内だからそれなりに都会なのだが、実家から一番近い、大きなビルが
林立し、スクランブル交差点があるような本当の都会は渋谷だった。
幼少時代は親に連れられてデパートへ行き、東急や西武の屋上で遊んだ。
自分で買い物が出来るようになった中学生の頃、お友達と最初に行ったのも渋谷だった。
高校や大学の時はよく渋谷で乗り換えた。
最初に構えた事務所へは渋谷駅から歩いて通った。

電車を降りると「85年分のありがとう!」の文字。
そしてあふれんばかりの撮影する人たち!


「こんなに惜しまれているのになんで地下化するんだ、東急さんよっ!」
と怒りに近いもの(笑)がこみ上げてくるが、まあ色々と理由があるのだろう。
建物の老朽化とか、渋谷の再開発とか。あとは東横線と副都心線をつなげてJR埼京線に対抗するとか。
要するに市場の原理、そしてお偉いさんたちの利権とかが複雑に絡んでいるんだろうな。

それにしても再開発って一体なんなのだろう。
古くなり、さびれてしまった街を再び活性化するための再開発ならわかる。
でも、渋谷って古くさいだろうか?むしろ若々しい街だと私は思うのだが。

子ギャル、チーマー、やまんば、ガングロ・・・私はどれもやったことはない
けれど(笑)みんな渋谷周辺から生まれた若者の文化みたいなもの。

街にはそれぞれの個性がある。個性=その街に根付く文化である。
運転免許取りたての10代の頃、練習で父親と明治通りを走ったことがある。
渋谷、原宿、新宿・・・それぞれの街の交差点で信号待ちすると、行き交う人たちの雰囲気が
おもしろいほどに違ったのを覚えている。

渋谷には雑多な魅力のようなものもある。駅だけを見ても、東急百貨店の建物のど真ん中?みたいなところから銀座線が走っていたり、下には川が流れている部分があり、今の建築基準法でいうと違法であったり、他の鉄道会社への乗り換えがやたらにわかりづらかったり。
そういうところに戦後の混沌や、高度経済成長期にどんどん建て増ししていったであろう様子なども垣間見える気がして、私にとっては東横線のあのかまぼこみたいな屋根がついた高架の渋谷駅は個人的な思い出を抜きにしても立派な文化遺産なのだ。

地下へ移った跡地には埼京線が走り、大きなビルが建つらしい。
渋谷駅全体が小ぎれいなものに変わっていくんだろうな。

駅は街への入り口、看板である。
再開発が終わった時、渋谷駅全体がピカピカとしていて、利便性の高いものになるのかもしれない。
でも同時に、この街の持つ強烈な個性、若々しいエネルギーや何だか訳のわからない
おもしろい物が潜んでいそうな雑多な感じが失われるような気がして残念でならない。
「渋谷の顔 地下化で一変 消える戦後モダニズム建築(東京新聞)」

実は何年も前から、東横線が地下化するとひとつの時代が終わるような気がしていた。

2005年に私が最初に構えた事務所は渋谷から歩けるといっても表参道寄りだったので
2年後の2007年、ギャラリーをオープンするにあたっては渋谷の街のど真ん中の物件を探しまわった。
「現代アート」だから、「今」のおもしろい文化を発信している街からアートも発信したかったのだ。泰平がつきあってくれて、渋谷中を歩きまわったのは楽しい思い出。

でもなかなかいい物件が出なくて、確か大畑伸太郎田代裕基
「別に僕たちは渋谷でなくてもゆかりさんが行く場所へついて行きますよ!」と言ってくれた事で、はじめて渋谷以外の街にも目を向けようと思えたのだった。

そんな折、東横線の渋谷駅が地下化するという話を耳にし、何かひとつの時代の終わりのようなものを感じた。さらには「今日を最後にしよう!」と決めてひとりで物件を渡り歩いていた日、渋谷にある温泉施設が爆発して街が騒然としているのを目撃した。東日本大震災よりずいぶんと前の事だったが、まるで現在の都市構造の限界を見た気がして都心を離れる決意をしたのだった。

それで誕生したのがあの住宅街の中にあるユカリアートだ。

不思議なもので翌年に私は子持ちになり、渋谷のような都会はさらに遠いところになってしまった。

震災から2年を過ぎた2013年3月15日、私の中でのXデー(!)に世の中を見渡してみる。
進まぬ復興。未だに行方不明者が2,500名以上、避難・転居者が30万人以上。いつまでも綱渡り状態が続く福島第一原発。放出され続ける放射性物質に加え、もれなく花粉+PM2.5の嵐まで吹き荒れている。
次なる大きな地震や火山の噴火がいつ起こってもおかしくない状況。
加えて政府はTTP交渉への参加を表明した。
ご近所の国からはミサイルが飛んできたようだし、領土問題を抱えるお隣の国では新しい国家主席と首相が決まったらしい。バチカンではコンクラーベがあり、新しいローマ法王が選出された。

地上を走っていた東横線は私の希望だった。
高架から眺める都会にはまだまだ夢があった。
そしてそこにはいつだって本物の空があった。
新しい地下のホームにはお日様の光は届かないんだろうな。

東横線が地下に潜ること、それは私にとって、日本がこれから直面する厳しい時代の象徴のように感じられるのだ。

でも決して悲観などしていない。その時代の先には本当の意味での明るい未来があると信じているから。

この地球規模での大変革の時代に生まれたのも運命だ。
自分自身、何か大きなことが出来るわけではないけれど、与えられた命を大切に、一日一日を精一杯生きていきたいと思う。

話が少し飛躍しすぎたかしら!?(笑)

最後は再び、にわか鉄子に戻って

「さようなら、ありがとう東横線の渋谷駅!」


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