11月17日18日いばらき環境フェアでのワークショップ「ゴミジナル工作」をやりました。
これは淀川で淀テクが感じた初期衝動と作品制作を追体験してもらおう!という趣旨で始めたワークショップです。
素材はいわゆるゴミ、僕が淀川や沖縄や鳥取の海岸で集めた漂流物、前の週に近所の大正川で立命館大学のボランティアサークル“イビューザ”さんと集めた川ゴミ、後参加者が持ち寄ったゴミを使います。
このワークショップはとにかく自由で素材以外の制約がありません。何かを作ろうとしますが、結局何も作らなかったというのもありです。
当初予約制でしかたが当日の飛び入り参加も受け入れるために時間帯も参加時間もより自由な形になりました。
内容は、まず参加者1人にサポーターと呼ばれる淀川テクニックプロジェクトの学生や手伝い常連が一人つきます。
参加者はサポーターと軽く自己紹介した後モチーフや技術的なことを相談しながら作ってゆきます。
時には全く関係ない世間話もヒントになったりします。
作品が完成したら撮影ブースで作品を撮影、その後アンケートを記入してもらって終了。
茨木市役所の職員さんの呼び込もありおかげさまで最終的には満員御礼なワークショップになりました。
このワークショップは自由だと書いたけれども、唯一ある縛りは「素材にゴミを使う」というところです。
逆に素材にゴミを使うからこそこんなに自由なワークショップが可能になります。
じゃあそのゴミってつまりのところなんだろうか?と考えてみます。
それは「いらないもの」「価値のないもの」「所有権を失ったもの」「沢山あって余っているもの」などどいえます。
そういった視点で世の中を見てみると、世の中にあるもの全てがいつかいらなくなるかもしれないし、価値を失うかもしれない、今は自分の者だけど誰のものでもなくなるかもしれないし、今は希少でも今後沢山手に入って余ってしまうかもしれない。身の回り全てのモノがゴミになる可能性を秘めていて、逆にゴミから見ても様々な素材、形、色、が無限にあることになります。そしてそれらが必ず一度誰かに所有された歴史を含んでいて、ゴミは言い換えれば「日常生活の破片」の様なものなのかもしれません。
同じものを新品で集めようと思うとスーパー、コンビニ、ホームセンター、デパート、工場、全てを回っても手に入れることは難しいです。
普通は何かを作る時、出来るだけシンプルな素材から複雑に加工することになります。例えば絵を描こうとすると真っ白な画用紙に色分けされた絵の具を混ぜ合わせて複雑な表現をするなどがそうです。
ゴミジナル工作の醍醐味は、参加者のイメージの為に用意された素材ではなく日常生活の破片を組み合わせたり逆にその素材からイメージを引き出したりしながら制作していくことにあります。
そして参加者一人一人にサポーターに入って相談してくれることと、そしてなにより目の前で知らない参加者が思いもよらないゴミの使い方や見立てを平然とやってのけてる姿を見ながら自分の制作をする、というとてもディープで刺激的なワークショップです。
今後も淀川テクニックのゴミだからできるワークショップ「ゴミジナル工作」をどこかでやってみたいと思っています。