蒟蒻問答、吉田朗が過去作を順不同でふれていきます。
前回の犬張り子 [ Atomic Cloud ]から、連続して制作した犬張り子シリーズの「犬張り子 [ Occupied Japan ]」に触れてみます。
No.63
犬張り子 [ Occupied Japan ]
犬張り子 犬であり張り子である。
東日本大震災後の日本の状況を改めて見返す中で、新たな意味を見いだし震災後に制作しました。日米関係を含ませて日本という国を「主人に従順な犬」、「中身のない張り子」と揶揄しながら、日本の古典的な美しさをもつ、桜や折り鶴、御所車などの絵柄の中に、日本に投下された2発の原爆と、原発の原子炉格納容器を図像化してペイントしました。
祖母の墓が鹿児島にある関係で、薩摩焼とその薩摩焼の中でも沈壽官という陶工を知りました。その装飾性と明治期に万国博覧会で評価され日本から海外へ多くの作品が輸出されたという史実を知り、興味が湧きました。日本の手わざが海外で評価されるというところや、逆輸入型の評価の形が日本の現代美術の作家となぞらえる部分があると感じました。
この作品の装飾性の部分は影響を個人的には薩摩焼の影響をうけたつもりです。
「個人的感覚や体験を描くことが、実は現代社会を象徴する」そのような作品は個のリアリティを通して社会と繋がるのでリアルな現代性を帯びるように感じています(自分はこれまで、このスタイルの作品は作れていません)。
それをズラすというか大きな方にスライドさせ、個人を国とすると「文化的なアメリカナイズドと軍事的な保護同盟関係という日本固有の事象」を取り上げることが、共通項としてアメリカの傘の下にある世界の多くの国々に共通する視点を獲得できるのではないか。それは個人的感覚が社会を象徴するのと同じように、日本の状況を作品上で抽出することがもう一つ大きな世界的な情勢を象徴するのではないかと考えました。
そういった「世界的な情勢を象徴しうる日本固有の事象」を日本の文化的なもの、技術的なもの、日本人的気質、手わざなどを盛り込みつつ作品化することが上手くいくと、それは自分が思う良い作品になるのではないか。このような考えを持って「犬張り子 [ Atomic Cloud ]」と「犬張り子 [Occupied Japan]」の2作品は制作しました。
自分の考えと、作品を見た人が感じることは乖離するものですし、この作品を見て、上に書いたことまでを感じとる人はいないと思うのですが、自分としてはこんな制作意図を用意しています。
次回は、今回触れたような明確な制作意図をあえて持たずに作った作品に触れてみようと思います。