蒟蒻問答、吉田朗が過去作を順不同でふれていきます。
そらむし、えび子供と、社会的視点を取り込まずに、何かを避けながら制作した作品に触れてきました。この何かを避ける作品をさかのぼっていくと、学生時代の作品に行き当たります。
今回はその作品、2001年制作の「ビョーキのヒコーキ」に触れてみようと思います。
No.7
ビョーキのヒコーキ
タイトルからして落ち込み気味なんですが、大学でいろいろあって、実際 落ち込んでいる時期でした。あんまり作品を作りたくない時期だったんですが、大学のカリキュラムで年に4作品が義務付けられていて、精神的にはちょっと無理して作った作品です。この作品は大学3年の秋から冬にかけてでしたね。
16年前の作品になるんですが、当時のテキストを久しぶりに引っ張り出してみたら、
「メッセージ性を強く前面に押し出そうとする中で、造形性というものが少しずつ押しつぶされていっていた。」
「この作品では何も考えずに自分の感覚に主体をおき、極力手に仕事をさせた。つまり自分が今まで一番大切にしてきた、思考の力というものを放棄し、今まで抑圧し続けた造形性というものに主体をおいて制作した。」
「自分の作品が自分の感覚が望まない方に向かい始めていたのを、手が仕事を求め、頭は考えることをやめるという形で修正しようとしたのかもしれない。」
とありました。なんか、今考えていることとほとんど変わらない‥
この時からグルグル回り始めたのか‥
自分の中で亜流というか、なんとなくメインの流から離れた造形的視点強い作品だと思っていました。なので、あんまり自分の意識の中で注目することが少ない作品でした。ただ、長い時間制作を続けてきて、やはり造形的視点の作品が必ず混ざってくるので、これは受け入れていったほうが良いのかなと思っていて、その原点的な作品になるので取り上げてみた次第です。
当時のテキストを見て、そのときに考えていたことと、現在考えてることがここまで変わらないとは思っていなくて、ゾッとしました。
もともとの彫刻を志したきっかけがブランクーシの「空間の鳥」で、造形的なことだけでなく、純粋性というか、具象を突き詰めることで突き抜けて抽象まで到達してしまった探求性のようなものに強く惹かれていた気がします。そこから飛行への憧れと、その無邪気さ、造形的な美しさという観点でパナマレンコが好きになり、この作品はかなり強くパナマレンコの影響をうけていると思います。
制作の工程的には翼の断面の形態を3.2mmの鉄板からカットしていき、それを金属の丸棒フレームに溶接しながら、丸棒フレームを熱して曲げ、また断面パーツを溶接して‥ということを繰り返して造形していくというものでした。なので断面は決まっているけれど、軸方向はライブ的に決めていくという作り方で、あんまり全体像は考えずに作っていました。それでフレームが完成したら、表面に透明の板を貼っていきました。フェザープレーンという、滞空時間を競う模型飛行機があるのですが、翼はマイクロフィルムという極薄の透明フィルムを使います。そのイメージで硬質塩化ビニール透明板を大量に買い込んで、炙って曲げて、リベット止めしていって、完成。
あんまり頭を使わず、コンセプト的なものを用意せずに、感覚的造形判断と、フィジカルをいじめる感じで 体を使って頭を空っぽにする感じ、考えずに反射にまかせるようなそんな作り方をしたくて制作しました。辛いときにはやっぱり体を使うのがいいと思います。
思考と造形を噛み合わせに行ったり、外しにいったり、それを認めようとしたり、ダメだと思ってみたり、そのスタートがこの作品のあたりだったようです(今回さかのぼってみて気付きました ここからでした)。
次回はこの感覚的造形判断を極力削って制作した作品にふれてみようと思います。ジタバタしてますね。