淀テク目線の環境論を書いてみることにした。
環境論といえば「温暖化」や「海洋汚染」、「地球にやさしく」とか「持続性社会」などのキーワードも思い浮かぶ。
しかし、そんなことは全くお構いなしにピンポイントで必要な分だけゴミを拾って作品を作ってきた淀川テクニックがなぜ今環境論なのか?
それは、なぜ淀川テクニックがゴミを使って作品を作り続けているのか?を明らかにしたいから。
実はこの問いはよくインタビューでも聞かれる。そして自分でも最近そのことを考え始めた。
これまでそういった質問には ”楽しいから” とか ”ゴミの風合いが面白いから” とか いくらでも取り繕える答えをしてきた。
勿論そういった答えも沢山の理由の内なのだけれど、自分で自分の中に問いかけてみるともっと深いところにカチッとはまる答えがあるように思う。
そしてこの問いに対して環境問題で取り扱われている事柄を取り上げることで、僕以外の人にも僕が取り組もうとしている問題を理解してもらえるのではないか?と考えている。
環境論といえども学会で発表するのが目的ではないので僕が知っている言葉で身近なところから切りこんでいくつもりだが、身近なことを考えていくうちにいつの間にか地球規模なことにつながるかもしれないし、それも通り越して妄想の世界でさまようかもしれない。
実は結構長丁場になると考えていて、勉強したり取材したりしながら考えをまとめていく予定なので、途中で意見が変わることもあるかもしれない。
だから淀テク〈プレ〉環境論はあるゴミアーティストの思考の記録として読んでもらえるとうれしい。
つづく。