3月11日以来、時の感覚を失ってしまった気がする。いつの間にやら4月に入っているし、少しずつ暖かい陽気になってきたから前を向いて歩き出さなければならない!と思いはじめた矢先、友人の親戚ご一家が津波で流されてしまったことを知った。再び無力感におそわれる。日を追うごとに事態の深刻さが明るみに出る今回の地震のものすごさを感じる。おもたい腰をあげて外に出てみると桜が満開でびっくり、というよりも面食らった。突然咲き乱れるのが桜というのものだけれど今年はいつも以上に唐突に感じられる。きっと被害の激しい宮城でも岩手でも福島でも、もうじき桜の花が咲くのであろう、まるで何事もなかったかのように。自然はとてつもなく美しく、そして残酷だ。

我々人間は幾多もの自然災害を乗り越えてきた。いや、乗り越えたというよりもそれでも生き残ってきた。平和で豊かな今の日本には致命的な伝染病の大流行も歴史の教科書に何度も出てきた大飢饉もない。しかし人類の長い歴史を見れば数十年から数百年に一度、必ず大量の命が失われる何かしらの事象が起こっている。自然は時に我々を圧倒的な力で凌駕する。それが天災というものだ。地震と津波で失われた数かぞえきれない命は取りかえしようがなく、その悲しみは決して忘れられるものではない。でも最終的には自然の脅威に人間が負けてしまったという事実を認め、前に向かうしかないのであろう。脆弱な現代人の私はこういった状況に慣れていないから未曾有の被害を前に茫然自失してしまう。でも何かを感じることが出来るのは生きているからだ。まだ生かされている者はひたすらに生きるしかない。それが生きとし生けるものの唯一の使命だ。きっとこうやって人間は生き続けてきたのであろう。

しかし天災と人災では話が全く違う。戦争、そして今回の原子力発電所の問題は明らかに人災だ。私は東京に住むひとりの人間として福島の人々に対して申し訳なく思う。首都圏の巨大な電力需要をまかなうために美しい自然の残る都会の外に原発がつくられる。我が国には「ヒロシマ」「ナガサキ」があるにも関わらず、我々はほぼ無意識のうちに原子力の力に頼ってきたのだ。これまで私は、いや、おそらくほとんどの人が何も考えずに電気を使いまくってきた。その結果、いま福島とその周辺の方々が人災の大きな犠牲となっている。目に見えずにおいもしない放射性物質の恐怖。その地域に住む人たちの人生はどうなる?子供たちの未来は?まるで自分自身も加害者のひとりのような複雑な気分だ。


(photo:時事ドットコムより)

気温が高くなってきて計画停電が見送られることも増えてきた。お日様の恵みが多くなったから電気の需要が減る、よく考えてみたら至極当たり前のことだ。我々は自然と寄り添って生きてゆくしかない、月や太陽や水や土、既にそこにあるものを荒さぬよう無駄にせぬよう大事にしながら。今回の計画停電で薄暗い都会にも慣れてきた。気分は滅入るし、電車の本数は少なく、店も早く閉まって不便だけれど何も困っていない。だったらこのままでいい。節電して節電して電力需要そのものを減らして原子力の力に頼ることをやめなければならない。太陽光や風力などの自然エネルギーを取り入れ、自然と共に生きていく、そうする以外に人間の未来はない。地震と津波と原発の何万人もの被害者がそれを教えてくれたのだ。失われた数多くの尊い命と被災者たちの苦労を決して無駄にしてはならない。

一体アートに何が出来るのか、日々考えている。電気の落とされた街を歩きながら当たり前の事にひとつ気づいた。夜は暗いのである!今の東京がちょっと寂しく感じられるのは明る過ぎることを前提に街がつくられているからだ。日本には世界に誇れる優秀な建築家や照明デザイナーがたくさんいる。不必要な明かりを消し、自然の営みに限りなく沿った真に美しい都市を文化の力で構築しなければならない。「最大のピンチは最大のチャンス!」というのが本来の私の信条。物事をプラスに捉えるのはかなり得意な方だ。たださすがに今回はそんな前向きな気持ちになれずにいた。でも私はまだ生きている、生かされている。だったらひたすら前を向くしかない。未曾有の危機はこの生きづらい世界を美しい場所へと変えるチャンス、新しい社会への転換点だ。ゼロからの、いや、マイナスからの再スタートである。文化の力、アートの力で世の中を少しでも良い方向へ変えていければいい。力強くてたくましいアーティストたちと共に、明日があることを信じて!

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