爆心地から 2km弱。
広島市現代美術館の裏手に、木々に囲まれた、こんな一角があります。
広島出身の首相・加藤友三郎の銅像の、その台座と、
銅像建設由来碑の、その石枠。
銅像と碑文は、
原爆によって失われたのではなく、
太平洋戦争の金属供出によって失われたのだそうです。
加藤友三郎は、
軍人として活躍した経歴を持ちながら、
軍縮を選んだ人物。
曰く、
「 国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、
国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、
目下の時勢において国防の本義なりと信ず。 」
そして、アメリカとの戦争なんて有り得ないと結論しています。
それが、1921年。
その後の歴史は、彼の警告した方向へ進み、
彼の意思を周知すべく広島の有志によって建てられた銅像さえ、
戦争のために差し出され、
今、ここには、不在の像と、空の碑文だけが、残されています。